1300年以上続く日本独自の医学。誰でも分る要点

漢方理論

「漢の時代の方」の意味です。

漢方において、日本の古方派(コホウハ)の古典である「傷寒論雑病論(ショウカンロン、ザツビョウーロン)」は、約1800年前に書かれました。また東洋医学の病因、病理理論である「黄帝内経(コウテイダイケイ)」は、2200年前の馬王堆医学の「五臓六腑」理論が基礎となっています。それから400年後に「六臓六腑」となり、黄帝内経は完成しています。日本の東洋医学の歴史は、遣唐使であった空海(高野山)が持ち帰った「傷寒論」と最澄(比叡山)が持ち帰った「傷寒論」(同じ傷寒論でも書かれた時代が異なる)が基本と為っています。

  1. 「漢方」の意味は「日本に伝承された漢の時代の傷寒論を中心とした日本独自の伝統医学、方」の意味です。
  2. 30年前(1990年当時)、中国には「漢方」の言葉は在りませんでした。
  3. 中医学は中医学であり、漢方は「日本の伝統湯液医学」のことです。

日本の漢方医学の歴史

以下は、2003年8月、国際ウイグル医薬学術会議(中国、新疆、ウルムチ)にて漢方太陽堂が発表した論文の抜水です。

国際学会。論文発表「日本の伝統漢方古方派理論に基づく脱肛治療への考察」

<中略>

  • 日本漢方には様々な流れがある。7世紀以降、遣隋使、遣唐使により様々な医学書が日本に伝来した。
  • その後17世紀に入り日本では、漢の時代に書かれた「傷寒論」を尊ぶ流派が生じた。それが現在の日本の古方派である。
  • その後、日本では古方派が中心となり、傷寒論の書かれた「漢時代の方」即ち「漢方」の名称が日本で生まれ、日本独特の医学として漢方は発展した。
  • 「漢方の特徴」。傷寒論に収載の薬方は、薬味の数が少ないため効果が鋭い面がある。それが日本人の気質に合ったものと思われる。
  • 古方派は、傷寒論の三陰三陽理論を慢性病の治療にまで発展応用し、独自の理論を形成していく。
  • 急性、慢性病に関わらず、全ての病態と薬方を三陰三陽の病証の中に当てはめ、虚実、寒熱、表裏内外理論を加え応用した。
  • また薬方ごとに日本独自の腹診方が発見開発され、漢方の治療体系が形成されていった。

<後略>

漢方太陽堂の伝統経験医学

漢方薬はオーダーメイド

福岡の漢方太陽堂では患者さんのお困りの症状を詳しくお聞きし、同時に体質についても充分に考慮した上で、患者さんに最もふさわしい漢方薬をオーダーメイドでお渡しする事に重点をおいております。

同じ病名でも、1人1人違う漢方

  1. 漢方医学は西洋医学と異なります。
  2. 例えば風邪を引いた時、丈夫な人もそうでない人も同じような内容の薬を飲みます。
    ところが東洋医学では、丈夫で肩がこり、寒気のある人には葛根湯(カッコントウ)。平素から身体が弱く、寒気があり、ジトジトと汗が出るような人には桂枝湯(ケイシトウ)というように、同じ風邪でも体質や症状によって全く異なる処方内容の漢方薬を幾種類も使い分けます。
  3. 風邪に対してだけでも30種類以上の薬方を福岡の漢方太陽堂では使い分けています。

漢方太陽堂の数多くの漢方

*写真は、福岡の漢方太陽堂に保管されている漢方の古典「千金要方(センキンヨウホウ)」

  1. 漢方太陽堂では、当薬局で開発した11アイテムを中心に、更に基本薬方210処方と数十種類に及ぶ自然薬を揃えています。
  2. これら多くの漢方薬は、患者さんの病態に合わせ煎じ薬、エキス剤、散剤、丸剤、錠剤、液剤等の中で最も有効な剤型を選びだします。

漢方太陽堂と医療気功「糸練功」

福岡の漢方太陽堂では、患者さんの病態をより正確に把握する為、問診、望診、聞診の他に、医療気功である糸練功(シレンコウ)を駆使し患者さんの証(現在の体質と病態)を把握、判断していきます。糸練功を駆使することより、従来諦められていた様々な難病等にも対応策が出て来ております。
*参考;図の中丹田(チュウタンデン)が腹診上の心包(シンポウ)に当たる事は、漢方の古典である「黄帝内経素問(コウテイダイケイソモン)」をヒントに福岡の漢方太陽堂で発見した腹診です。

漢方は「幸せを目指す」伝統的経験医学です

最後に

福岡の漢方太陽堂は、貴方の身体を治す為に、最良の漢方治療を提供する努力を続けていきます。貴方の身体を治す為には貴方のご協力が必要です
「より良い身体と幸せを」を取り戻す為に。

漢方とは

目次
漢方とは
1300年以上続く日本独自の医学。誰でも分る要点
病の性質と虚実の3つの診断について
4種の診察法
医療気功「糸練功。5つの技術」を知る
食養生、大事な2点
原料の生薬、6通りの下ごしらえ