東洋医学との出会い

*写真は、薬研。中医学院に展示してあった中国の古い薬研(生薬の切断に使用します)。太陽堂漢薬局には江戸時代の日本の薬研が展示してあります。

私は23歳までは普通の薬剤師として仕事をしていました。大学で化学を中心とした薬理学を学び、化学構造から医薬品を合成することを中心に勉強してきました。

丁度その頃、母が狭心症で倒れました。私は製薬会社を止め故郷の鹿児島に戻りました。 鹿児島での仕事先は薬剤師会からの紹介で、ある薬局に薬剤師として勤務させていただきました。紹介された薬局が漢方中心という事も知らずに・・・。

薬局に勤務すると今まで聞いた事もない漢方の話、漢方薬の名前。そして漢方の勉強です。戸惑いました。

勤務が終わった後、毎週2回2~3時間薬局に残り、漢方の勉強をさせられました。

そこの先生は中医師の免許を持っているにも関わらず、私達にお教え下さったのは日本の伝統漢方”古方”でした。1978年のことです。

最初の半年は訳も分からず、「こんな草や木が効くものか!」と思って、あまり勉強もせず遊び歩いていました。

その当時、私はアレルギー性鼻炎が酷く、抗ヒスタミン剤を自分で調合し服用する毎日でした。いつも漢方をお教えくださる先生が「漢方薬を飲みなさい。お金は要らないから」

嫌々、飲みだしました。(まっ、タダですから・・・)。それから3ヶ月ほどして鼻水が少なくなってくるのに気付きました。

それからです。漢方の勉強を一生懸命始めたのは。勤務が終わり、家に帰り、毎夜、漢方の本を読みあさりました。

漢方概念 – 世界観とは

*写真は、野生の霊芝。紫色ではなく、原種の黒色、黒芝です。栽培品と異なり作用も強いです。

私たち現代薬理学を学んだ者は、考え方がケミカル・科学的に成っています。

東洋医学の概念が、しっくり肌に合いません。薬学を学んでいない一般の人の方が、逆に東洋医学に入りやすいと思います。

2年ほど漢方を勉強し自分なりに「漢方は大体分かった」と思った時期がありました。その頃の私は、後輩の薬剤師に「葛根湯は麻黄が命」、「製薬メーカが造る製剤はエキス化の段階で精油・気剤が抜けている。香りを故意に付けている製品もある」など講釈をたれていました。今、考えれば恥ずかしい話です。

漢方を頭で理解できても、心の奥底では理解できない自分とのジレンマに悩んでいた時期です。

経方も学んだ、古典も本草学も学んだ、何千人と言う患者さんの相談も受け、患者さんを直接診て望診も学んだ。

でも深層心理と言いますか、心の奥底では、やはり東洋医学の思想観を理解できないジレンマとの戦いでした。そして本当には、東洋医学の概念を理解できませんでした。

結局、「漢方に対する反発の気持ち」と「漢方の知識は十分付けたという自信」。2つの相反する気持ちを持ちながら、漢方の世界から数年間遠ざかることと成りました。

漢方医学を商売として

*写真は、南方の生薬市場。ベトナムに近い生薬市場で見つけた桂皮の山。香木などの生薬が豊富な市場。

それからの私は、今まで学んだ十分すぎる程の漢方知識を商売として使っていきました。新たな漢方の勉強をすることもなく・・・。

その当時、日本には現在のような「中医学」と言う言葉すら無い時代です。漢方の知識が本当に有る人は、少ない時代です。

徹底して漢方を勉強した私が、聞きかじりで漢方薬を売っている人達に負けるわけがありません。

私の商売は繁盛し、わずか数年で社員が18人在籍する会社にまで成長しました。青年実業家と言われ、社長業で有頂天に成っていた時期です。

また、西洋医学に馬鹿にされながら、日陰の漢方を守り続けた先生方が居らっしゃた時代でもあります(1980年頃)。

坐骨神経痛すら治せない!!

商売で有頂天に成っている頃、身内が坐骨神経痛に成りました。漢方薬のエキス剤を飲ませました。一向に良くなりません。

しばらくすると、その身内は、痛みと痺れが酷くなり、立つ事すら出来なくなりました。整形外科でブロック注射をして頂きましたが、改善しません。結局、入院・手術と成りました。あれほど勉強した漢方で、身内の坐骨神経痛すら治せなかったのです。悔しかったです。

それから1年ほど過ぎ、その身内の坐骨神経痛が再発しました。今度も痛みと痺れが激しく、立つ事も歩く事も出来なくなりました。トイレにも這って行く状態でした。手術から約1年ほどでの再発でした。

わずか1年の間に2回も手術をさせるわけにはいきません。煎じ薬を調合しました。以前勉強した漢方の知識を総動員して・・・。

今度は見事に効きました。トイレも這って行く状態だったのが、見る見る改善したのです。身内は1年ほどの漢方治療で完全に坐骨神経痛が治りました。その後、再発する事もなく。

嬉しかったです。漢方の醍醐味を始めて実感した時でした。

一人になり、会社も処分し漢方の勉強を再開しました。古典、経方、本草学と受験勉強のように毎晩勉強したのを覚えています。

そして、今の太陽堂漢薬局を始めました。いづれ、お客様に役立つ漢方専門薬局を夢見て(1988年)。

腰痛 – 神経痛専門で評判に!

*写真は、桂林の山と川。この桂林には、私達日本漢方の古典「傷寒論」の原本が残されています。後に、この古代「桂林傷寒論」を広州中医学院の教授よりプレゼントして頂くことになった。

太陽堂漢薬局が、私の田舎・鹿児島国分隼人の地で1989年スタートしました。

身内の立つことも出来ない坐骨神経痛を良くした経験を元に、当初「腰痛・坐骨神経痛専門」で漢方相談を開始しました。

煎じ薬を縦横無尽に使い、補助剤を使って面白いように腰痛・坐骨神経痛が良くなっていきました。「手術でしか良くなりません」と宣言された患者さん、手術をしたけど再発した患者さんが「先生、痛くなくなりました」、「正座が出来るようになりました」、「もう運動が出来るんですよ」。患者さんの声を聞く度に嬉しくてしようがありません。

朝、薬局のシャッターを開けると薬局の前に腰痛・神経痛の患者さんが並んでいるという日が続きました。

漢方の道に入り、人に喜んで頂き、今まで感じた事の無い幸せを感じました。

同時に、本人が「痛くても自力で歩ける間は、漢方で良くなること」、「レントゲン上は改善していないのに痛みや痺れの症状が消失する不思議さ」、「徹底した漢方治療をすると再発は殆どしないこと」を学びました。

痛みが1服で消えた患者さん

漢方相談を始めて3年が過ぎた頃。50歳半ばの女性が腰痛でご相談に来られました。近くの陶器工場で働いていらっしゃるご婦人です。

問診をすると、2~3年前から右足の膝より下の痺れ・両膝の痛み、腰痛、背中と胸の痛みが続いているとの事でした。また4~5年前より足首に水が貯まり整形外科で時々水を抜いているとの事でした。

問診の段階で、冷えと水毒・血虚、陰証で虚証を確認。煎じ薬で当帰四逆加呉茱萸生姜湯を投与しました。

次の日の朝、この患者さんが飛び込んで来ました。「昨夜、漢方薬を煎じて1回飲んで寝たら、今朝は腰の痛みが消えていました」。患者さんも驚いていましたが、私もビックリです。

その後、この患者さんは8日目に背中と胸の痛み・痺れも取れ、両膝と足首の痛みを残すのみと成りました。

15日後に、今度は残った膝の痛みを取るために、防已黄耆湯の加味方を投与しました。

不思議な事は起こるものです。また、飲みだして1週間くらいで今度は両膝(変形性膝関節症)と足首の痛みと腫れが取れたのです。

その後、この患者さんは風邪を引いても下痢をしても太陽堂漢薬局に来られるようになりました。

10年以上過ぎた今でも時々来られます。(2000年当時)

漢方の本や症例報告を見ていると、数は少ないですが時々このような著効例が報告されています。この時、”説明のつかない漢方の不思議さ”に私も始めて経験し驚きました。

その後、同様の著効例を、皮膚病や神経症で何回か経験することと成りました。

中医学との出会い – そして再び漢方古方へ

*写真は、中医学の生薬調剤風景。中医学病院での漢方薬の調剤。左は薬棚、右は投薬口。

その当時の私は、漢方の勉強をしたくて色々な専門書を読み漁っていました。系統立てた勉強をしたくて日本漢方協会にも入りました。

隣の県で行われていた中医学の勉強会に通いだしたのもこの頃です。中医学を勉強して新しい考え方を学びました。今でも臨床上参考になっているのが、「帰経」と「入薬」の考え方です。私の学んだ古方派の漢方理論には殆ど無い理論でした。

でも何かが違ったのです。古方は理屈ではありません。多くの患者さんを通して感覚で学ぶのです。漁師が「雨が降る」と言えば、天気予報は晴れでも雨が降るのです。

ある人が、「昔はどの町にも名医が居た。患者さんが遠方から訪ねてくる名医が居た。今は、何処も検査結果を元に同じ薬が出る。」と言ったのを思い出します。今流行の漢方はそれに似たところが有ります。

結局、私には古方しか肌に合いませんでした。この頃には、漢方の世界で古方をやる人間は殆ど居なくなっていました(1990年頃)。古方は、教科書では勉強できないのです。自分の目と五感で学ぶのです。古方には師匠が必要だったのです。

入江正 – 先生との出会い

*写真は、上海気功研究所。気功をお教えいただいた柴教授が初代所長を務められた上海気功研究所での八段錦(気功の基礎・基本)の演舞

漢方を2~3年勉強すると、少しだけ漢方が分かってきます。薬方を50方位覚えると、面白いように病気が治せるようになります。

しかし更に勉強し薬方を200方以上覚え、4~5年経つと治せなくなります。治った症例だけでなく、治らなかった症例に目を向けだし、治せない自分に気付くのです。

最初は理論的に証の判定(漢方独自の診断)をしています。治せなくなると似たような症例を過去の文献から引っ張り出し、その真似をするようになります。そこには漢方理論などありません。残念なことですが、古方を勉強し真剣に患者さんに接する先生が通る辛い道です。

私が一緒に古方を勉強した仲間達で、現在も古方を続けているいる人は誰もいません。皆、挫折していきました。

ある時、膝の痛い中年女性(変形性膝関節症)の相談を受けました。膝から10cm位離れた所から手掌に熱を感じました。手背では感じないのです。不思議でした。

その直後、東亜医学会の「漢方の臨床」の中で「手掌で熱を感じ、手背で寒を感じる」という一文を見つけました。著者は入江正先生でした。入江先生の研究発表を読み漁りました。

生前に入江先生がよく言ってらっしゃった「目から鱗が落ちる」。本当にそうでした。入江先生の開発されたFTの猛練習と入江先生の理論を隅から隅まで勉強しました。でも一生懸命訓練しても患者さんを治せませんでした。

1年後、大阪の入江塾に入塾しました。

2年後、どうしても治せないのです。針灸の出来る入江先生と、漢方専門の私では状況が違いました。

3年位した時に、陰脈・陽脈の経気の流れと病気の進行具合に関連がある事に気付きました。深浅診の発見です(1993年)。

深浅診を使うと複雑に絡まった病状を見事に分けて診る事が出来るのです。患者さんの病状が面白いように分かり治せるようになりました。

上海の柴先生に習った気功の技術と入江先生に習った糸脈診FTを合わし糸練功を創り上げました。

入江先生にFTを習わなければ糸練功は完成出来ませんでした。神様と呼ばれた間中善雄先生の一番弟子、名実ともに天才努力家の入江先生に感謝し、先生のご冥福をお祈りいたします。

糸練功を求められて?

*写真は、猿頭霜。自閉症や多動性疾患に応用される猿頭霜。今では入手困難な生薬です。

講師に行った時、ある研究会で糸練功を実演したことがあります。それを契機に全国から問い合わせが殺到しました。

悩んでいらっしゃる患者さんが多いことを実感しました。太陽堂漢薬局は患者さんが増え、私一人の身体では間に合わなくなりました。

私と同じように漢方の勉強をして糸練功が出来る先生が増えると、多くの患者さんに接してあげられる。この思いに共鳴してくださった先生方を中心として、現在の伝統漢方研究会の活動がスタートしたのです。最初は私の自宅で5~6人の先生方が集まり、漢方と糸練功の勉強会を始めました。

同時に、私は、志のある先生方が効率よく勉強出来るように、資料作りを始めました。それが今の伝統漢方研究会の「レベル1」、「レベル2」、「古方、これだけ覚えれば絶対だ」の資料・本に成って行きました。1995年のことです。

肺癌患者さん

*写真は、大理の古い町並み。風習なども日本人に非常に近い人々が多い、思い出深い町です。この大理で失われた生薬「白蜜(岩蜂蜜)」を発見した時の喜びは大きかったです。

不思議なことがありました。ほぼ同時期にお2人の肺癌患者さんのご相談をお受けしました。お1人は私の次女の同級生のお祖父様です。もう1人は家族付き合いをしていた方のお父様です。偶然ですが、肺癌でお2人とも「後2週間位しか持たない」と宣告されていました。

その頃、私は癌に有効な漢方薬を、糸練功で探せないか研究中でした。現在の「気仙」の原型が出来ていた時期です。お二人同時に漢方治療を開始しました。

3週間後、お1人は力及ばず亡くなられました。もう1人の患者さんは少しづつ食欲が回復し、6ヶ月後、レントゲン上で癌腫の縮小を確認。その後癌腫が消失。退院されました。

4年後、太陽堂漢薬局の前に1台のバスが止まりました。バスから降りた方々がぞろぞろ薬局に入ってきます。びっくりしていると、「先生、ありがとうございました」の声。肺癌から回復された患者さんでした。「全快祝いに親戚皆で旅行した帰り。」だそうです。

実は、患者さんにお会いしたのはこの時が初めてでした。患者さんの喜ぶお顔が眩しく、たまらない気持ちに成ったのを覚えています。

それから数年後平成11年、この患者さんの息子さんが、以前手術した大腸癌からの転移で膀胱癌になりました。約1年の漢方治療で癌腫は消失、病院の検査でも異常なし。その後2年間の再発防止で漢方治療を終えました。

ほぼ同じ条件で同じ治療を施した肺癌のお2人の違い。私の力で治ったわけではないと思います。患者さんが私を信じてくれた。患者さんが将来の夢をお持ちだった。家族が明るく前向きだった。

私には分かりません。でも何かが違ったのです。

忘れられない患者さん

漢方イメージ16

ある時、30代前半の子宮癌の女性の相談を受けました。同じ病室の子宮癌の患者さんが太陽堂漢薬局で良くなられ、その方の紹介で来られました。

放射線治療により子宮と大腸に穴が開いて非常に苦しんでると仰っていました。すでに抗癌剤を打つ体力はなく、モルヒネを投与されていました。彼女は真面目な方で真剣にご自分のお病気と向き合い戦おうとされていました。その姿に打たれ私も真剣でした。

彼女が寝たきりとなり、腫瘍熱で微熱が続きました。私は薬局が閉店時間になると毎晩、車で彼女の家に出かけました。1日の身体の具合、今日は何を食べた、色々な話をし、そして糸練功を取り漢方薬を1日分渡して帰る毎日でした。彼女は私の言うことを良く守り、食欲も無いのに一生懸命食べていました。

3ヶ月ほど経ち、ご主人より「今朝から急に浮腫みだし、夕方に亡くなりました。最後に、『先生にありがとうと伝えて。』と言ってました。」と連絡がありました。全身から力が抜け虚脱してしまいました。

神様は居ないのだと何度も思いました。何年経っても忘れられません。振り返ってみて、私の取り組み方が間違っていたのかもと思っています。

人間は笑うと免疫力が上がります。笑わなくても「笑った振り」をするだけで血流が改善します。逆に、実際に苦しい事や嫌な事が無くても、「しかめっ面の振り」をするだけで血流が低下することが分かっています。

ご自分のお病気に真剣に取り組む人、お病気を医学辞典で調べたり、ご自分のお薬の内容に詳しくなる人、悲観したり、何でもご自分のお病気に結びつける人。

逆に、ご自分のお病気と真正面から向き合わず、趣味や生きがい、夢を持ち、遊びの計画をしている人。

沢山の患者さんに接し、今では後者の方が治りが早いと確信しています。

子宮癌の彼女は真剣でした。その姿を見て私も真剣に成り、私の姿を見て、彼女は更に真剣になっていく。彼女を苦しめたのは、私だったのかもしれません。

小宇宙を子供さんに

漢方-中国1

*写真は、新彊ウイグル地区。白斑治療の鳩菊を求め、タフラマカン砂漠へ。サフラン・鳩菊の産地でもあります。写真は歓迎で民族舞踊を踊ってくれたウイグル族の女の子と。翌年、3度目のウイグルへ。お土産のぬいぐみを持参し女の子の自宅へ再訪問。

癲癇の男の子の相談を受けました。癲癇の大発作が新生児の7ヶ月より始まり、現在4歳、1日に3~4回の大発作を繰り返しています。発作の影響で脳障害を起こし言葉も喋れず知恵遅れの状態になっていました。病院では発作が激しく、後1年は生きれないと言われたそうです。

この子に煎じ薬と補助剤を選薬しました。漢方薬を服用しても発作は治まりません。しかし糸練功で診ると毎月確実に改善に向け動いています。不安になるご両親に「とにかく信じて、やれるだけやりましょう。」と説得する日々が続きました。

1年を過ぎた頃より1日3~4回あった発作が減ってきだしました。2年が経ち糸練功で診ると10合±に改善しています。この頃よりやっと発作が無くなって来ました。それでも時折思い出したように発作が起こります。

男の子が小学校に入りました。この子は白衣を見ると怖いのか、いつも私から逃げようとしていました。お薬を貰うと走って車に逃げ込みます。4歳よりズート、煎じ薬を飲み続け、この子はこの子なりに一生懸命でした。

ある時、私はこの子を膝の上に載せ抱きしめながらお話をしました。可愛くて仕方がなかったです。

それからです。男の子は表情も明るくなり、薬局に来ると微笑んで寄ってきます。そして、それ以来大発作は起こさなくなったのです。

今では、スポーツが好きで積極的な逞しい男の子になりました。男の子は、今年中学生になります。

治療をする側と患者さんが信じあい一つに成る事が、大事なのかもしれません。

健康109

「小宇宙」、それは東洋医学をやる人間にとって魅力的な言葉です。東洋医学では「大宇宙の中に小宇宙があり、更にその中に小宇宙がある」と考えています。

東洋医学の古典「素問四気調神論」には、季節ごとの暮らし方が述べられています。自然が大宇宙ならその中で暮らす人間は小宇宙。小宇宙は大宇宙と調和を取りながら生きていきます。

暑い夏と寒い冬では、生活の仕方が異なって当たり前です。気温が異なれば、周囲の気温に合わし体温を保つため、人間の産熱状態が異なってきます。北海道と九州では食べ物が異なって当たり前です。

調和の取れた状態を「太極」と言います。太極は何も無い状態で調和が取れているのではなく、陰陽が混ざり合い、色々ゴチャゴチャ含んだ状態で調和の取れている状態の事です。

養生は、相反する性質の物を一つにして合わせることです。漢方治療の原則、「不足を補い、有余を瀉す」。代謝が不活発となり冷えた部分には、温める物を。炎症があり代謝が亢進した時には、冷やすもので治療していきます。

熱には寒を、寒には熱を。正反対の相剋(漢方で言う正反対の性質)を与えて調和し、太極・健康にしていきます。

患者さんと治療する側、自然と人間、仲間と自分、そして男と女。

どちらが上でも下でもありません。相反する物が一つに成る。それが東洋医学の小宇宙だと感じています。

伝漢研を設立した意義

生薬-山梔子

*写真は、本物の山梔子。日本では少ない薬用山梔子、形状は丸みを帯びています。日本の横に長い形状の山梔子は水梔子と呼ばれる染色用です。日本では、この染色用の水梔子が一般的に漢方薬として使用されています。

伝統漢方研究会設立へ

漢方専門の私は、入江先生にお教え頂いた当時、鍼灸をしたくて仕方がありませんでした。ただ私には鍼灸の免許がありません。免許が無いので患者さんに鍼灸の治療は出来ませんでした。

真剣に鍼灸の免許を取得しようと考えたこともありました。また、マスターベーションで入江先生にお教えいただいたイオンパンピングなどを家族相手にしたこともありました。

東洋医学には大きく分けて、湯液(漢方薬)、鍼灸、導引(気功や整体)の3つがあります。昔は一人の東洋医学者が患者さんを診て、この3つの治療を使い分けていました。

私は古代伝説の華陀や扁鵲のような天才ではありません。また浅田宗伯先生は、往診に行かれる駕籠の中でも古典を読んで勉強していらっしゃったそうです。でも15年前の私は酒は飲み、旅行はする、テレビやビデオもみます。暇さえあれば釣りばかりしていました。そんな私が天才の先人や浅田先生のように成れる筈がありません。

餅は餅屋です。鍼灸、導引はその専門分野の方に任すべきだと考えました。私はせめて漢方だけでも追求しようと思いました。そしてそれが糸練功の開発となりました。現在まで漢方で治癒率を確実に上げてきていると自負しています。

古典芸術も陶器、日本画、茶道・・・、それぞれの専門家がそれぞれの道を追求しています。やはり餅は餅屋です。

糸練功2

我々伝統漢方研究会は漢方を志した以上、鍼灸や導引に対する欲望を押さえ、一途に漢方を追求する義務があると考えています。

京都の伝統文化を伝えるある学校では「200年前の陶器を再現できる能力・人間を育てます。国宝を創れる陶芸家を育てるのが目的ではない。」そうです。私は、伝統とは先人の伝えたものを再現し更に伝えていく事だと考えています。

「漢方」の意味は「日本に伝承された漢の時代の傷寒論を中心とした日本独自の伝統医学、方」の意味です。

現在「中医学」も漢方と言う風潮があります。20年前(1970年代)、中国には「漢方」の言葉は在りませんでした。中医学は中医学であり、漢方は「日本の伝統湯液医学」のことです。

東洋医学には湯液・鍼灸・導引があり、その湯液の中で更に中国で進化したのが「中医学」、朝鮮半島では「東医・韓方」、日本では「漢方」です。

伝統漢方研究会は、「漢の方」を日本の風土に合わし独自に発達した伝承医学「漢方」の伝統を糸練功の技術を駆使し守り伝える会として創り上げてきました。

2000年前の湯液医学を再現し更に伝えていく。皆で「伝統漢方家」に育つための会、それが伝統漢方研究会です。その中で天才漢方家が出現するのは拒みません。しかし天才漢方家を育てるのが趣旨ではありません。

私達は、2000年間に人体実験によって完成された湯液医学の一部しか、まだ学んでいません。数十年の人生で2000年の蓄積された医学をすべて学べないと思います。

薬方を学び、薬方の経別配当をし、薬味を学び、薬味の経別配当を完成させていく。入江先生が100薬方ほどの経別配当を完成されました。私が300薬方ほど作ってきています。まだまだ数百の薬方を配当する作業が残っています。

入江先生にお教しえ頂いた短い時の間に、こんなに直向な方がいらっしゃった事にショックを受けました。私にとっての入江先生は、東洋医学の術の師であり、東洋医学に対する心の師でもありました。入江先生の手がけられた経別配当を完成させねばと考えています。

また入江先生は薬味に関しては、よく「薬徴(吉益東洞)」を参考にされていました。しかし薬味の配当は全くの手つかずです。すべての配当が終わり、初めて伝統漢方研究会の漢方が完成します。数千年の東洋医学の歴史の中で誰も完成し得なかったと思われる一大事業です。

夢かもしれませんが、日本の漢方薬原料は品質が低下し価格は高騰しています。低品質の物が最高の値段で流通しています。もっと良い物を患者さんに安く提供できる流通を少しでも確立していく事。それも、学者ではなく実践家である我々の義務ではないかと思っています。(流通は一部実現しつつありますが)

漢方古典2

漢方の「術」と漢方の「道」は違います。「術」は目の前の現実を解決する多様な技であり、「道」は方向性の有る心があります。「術」は「道」に従い学ぶべきものだと考えています。

東洋医学には様々な分野があります。それぞれの専門化がいます。伝統漢方研究会は、「何でも屋」ではなく「漢方道」を追求していく組織です。他の専門分野は他の専門家に任し、我々は漢方の専門家でありたい。それが真剣に患者さんに対応できる我々の道だと思っています。

漢方を勉強するにあたり、確かに漢方以外の東洋医学の広くて浅い知識も必要です。我々が中医学や導引や鍼灸の知識を取得するのは、自らの漢方医学を発展させるためあり、導引や鍼灸をやるためではありません。

同様に伝統漢方研究会では、鍼灸家の入会を拒みません。鍼灸家が漢方の知識・技術を取得し自らの鍼灸の腕や見識を広げるお手伝いが出来れば良いと考えています。

最後に

誘惑に負けず、ひたすら「漢方の道」を守るから我々伝統漢方研究会の存在の意味があると思っています。

伝統漢方研究会にご興味の有る方は、伝統漢方研究会のページもぜひ覗いてみて下さいね。

伝統漢方研究会 http://www.dento-kanpo.jp

伝統漢方研究会へようこそ http://denkanken.xyz/index.php
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