勉強だけでは治せない漢方

漢方雑記

2023年3月7日。写真は、青森県奥入瀬渓流です。

本や講演会で学べない、もう一つの漢方

私が漢方を始めた45年以上前、漢方の本や教科書は今のように多くは無かったです。当時の漢方は市民権を得ておらず、漢方は日陰の医学でした。

東洋医学会の構成も、薬剤師又は薬系が5、6割、鍼灸師が3割、医師又は医系が1割の時代です。東洋医学関係の講演会も殆ど皆無の時代でした。
日陰である漢方を志す少数派の人たちは、お互いに非常に緊密で仲が良かったと記憶しています。

証を先輩から学ぶ

その当時、先輩に街に連れていかれ、通行人を見て歩き方や行動、好みの服装、顔つきから証と言う東洋医学の体質的傾向を当てさせられます。ストリップに連れていかれ裸の女性を見て体形や肉の付き方、肌の感じから「証は何か」と聞かれていました。

また患者さんの声を聴き、顔を見て「証は」と質問されていました。
咳を聞き、この咳は半夏厚朴湯証。この咳は麦門冬湯証。この咳は浅い咳、この咳は深い咳と教えられました。
基礎医学である黄帝内経の腹診ではなく、古方派の臨床に実用的な腹診も教わりました。

漢方の教科書では問診のみ

東洋医学の診断方法には四診があります。問診、聞診、切診、望診です。
教科書や講演会で学べるのは問診による治療です。
聞診、切診、望診は本や教科書では学べません。師匠より体感で教えてもらわないといけません。

自動車学校で、教科書で車の運転を学んでいるのと一緒です。
実際にハンドルを回しアクセルを踏み、ブレーキを踏む体感をします。その後、練習を続けないと車の運転が出来ないのと同じです。

師匠である故入江正先生は、問診に基づき理論的に組む東洋医学の治療を
検証していない、施術者側の身勝手で想像力豊かな空想の漢方と呼ばれていたのを思い出します。

治せない自分

東洋医学に従事していると、先輩方からよく耳にすることがありました。
「患者さんは治せるけど、家族はなかなか治せない。自分自身の治療は、もっと難しく治せないものです。」

本当にそうでしょうか。
患者さんは効果があると再び治療に来られます。治らない患者さんは来なくなります。
目の前には漢方治療で効果があった患者さんだけが多くなります。
自分には治せる能力があると錯覚してしまいます。

家族は効果が無くても逃げません。漢方が効かなかった家族が目の前にいます。
自分自身の治療では、自分に効かないことを肌で感じます。治せないことに気づくだけです。

思い込みで治せない自分を変える

私は自分の子供たちが生まれてから、病気になっても家族を病院へ連れていきませんでした。
自分の漢方で治そうとしました。ここが漢方の限界と思ったら直ぐに知り合いの医療機関へ運ぶつもりでした。
冷静に考えると酷い話です。

子供たちが小さい頃、「うちは病気になっても病院に行けないもんね」と言ってたのを思い出します。
歯医者さんと、次女が足を怪我した時、三女が半月板を割ったなど、外科的処置が必要な時以外は漢方で治しました。

長女が小児喘息で苦しんだ時は、奥様が太陽堂漢薬局の患者さんであった知り合いの小児科の先生に診てもらいました。しかし気管支拡張剤の副作用が出て、結局は漢方で喘息も治しました。
5人家族で20数年、家族の風邪、喘息、インフルエンザ、肺炎、アトピー性皮膚炎、急性肝炎、盲腸炎、胆道閉塞、椎間板ヘルニア、食中毒、他。すべて漢方で治せたのです。幸運でした。

言い訳

漢方治療を行っていくと、思うような効果が得られない事があります。
その時に、漢方薬の質が悪いのか、今まで学んできた東洋医学の理論に不備があるのか、自分の腕が未熟なのか迷うことがあります。

人間は弱く、自分の責任ではなく他の責任にしてしまいます。
自分の腕や、自分が学んできた理論は自分自身の責です。

一般的な漢方の教科書で満足し、より深い理論を学ぶ努力をしない自分。
自分の技を上げるため、毎日の訓練をしない自分。
理解したから出来るのではなく、理解し訓練を続けるから出来るのです。

言い訳が出来ないように

治せないのは施術者である自分の責です。
漢方薬の質が悪いと言い訳出来ないために、漢方薬の質は最高の物を選品し揃えます。
漢方薬の責任に出来ない様に。

生薬の見立てを学び、製造方法を学ぶ。
自分の家族に飲ませる漢方薬を患者さんにも提供する。
当たり前のことです。