日本の漢方古方派理論に基づく後縦靭帯骨化症の治療

後縦靭帯骨化症

古方派理論に基づき後縦靭帯骨化症OPLL。国際学会で発表

漢方太陽堂が発表報告した論文。
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後縦靭帯骨化症OPLL。

2008年6月、広州中医薬大学での日本側代表講演。中国、広州中医薬大学

木下順一朗
福岡県福岡市、日本

諸言

日本漢方古方派理論に基づき後縦靭帯骨化症OPLLの治療を試み、幾つかの知見を得たので報告する。1999年10月、木下は後縦靭帯骨化症の漢方治療を初めて経験した。患者は当時57歳の女性で下肢麻痺があり歩行にも不自由していた。漢方治療開始1ヵ月後、首から肩への凝りと痛みが改善、8ヵ月後には下肢の麻痺も消失し歩行も自由となった。

その後、多くの後縦靭帯骨化症の例を扱ったが、下肢の麻痺まで単方で改善した例は前述の例以外にない。前述の例は患者さんにとっても私にとっても幸運だったと言う他ない。
最初の例より約10年間、多くの後縦靭帯骨化症の例を経験するなか漢方治療における幾つかの治療法を見出した。また、その治療法により多くの改善例を経験してきた。
今までに治療した後縦靭帯骨化症の例は400例を超えている。

日本漢方の特徴

傷寒論は、中華人民共和国では湖南本、四川本、桂林本などが伝承されていると言われている。宋代に宮中の書庫から発見された写本を元祐3年、1088年に小字本として刊行されたのが宋板傷寒論と呼ばれている。その後、明の万暦27年、1599年に趙開美が宋板を翻刻した仲景全書が現在残っている。
日本では、唐の貞元乙酉805年に長安、現西安にて空海、日本高野山の僧が書写し、806年傷寒論を日本に持ち帰っている。これを日本では康平本と読んでいる。康平本傷寒論は宋板の流れを汲んでいると思われる。
これとは別に805年、最澄、日本延暦寺の僧が日本に持ち込んだ傷寒論は西晋の時代の王叔和が編成した傷寒論より古い原始形だと言われている。これを康治本傷寒論と呼んでいる。
日本では、吉益東洞1702年から1773年が、傷寒論を中心とした古方派を確立していく。
古方派に関しては、木下が2003年国際ウイグル医薬学術会議で発表した内容を引用する。
「傷寒論に収載の薬方は、薬味の数が少ないため効果が鋭い面がある。それが日本人の気質に合ったものと思われる。
古方派は傷寒論の三陰三陽理論を慢性病の治療にまで発展応用し、独自の理論を形成していく。急性、慢性病に関わらず、全ての病態と薬方を三陰三陽の病証の中に当てはめ、虚実、寒熱、表裏内外理論を加え応用した。
また薬方ごとに日本独自の腹診方、圧迫診が発見開発され、漢方の治療体系が形成されていった。」
日本では古方派と別に、霊枢、難経を中心とし五行理論を展開する後世派と呼ばれる流派が存在する。現在の日本漢方はこの2つの流派の古方派、後世派が融合し成り立っている。

後縦靭帯骨化症

後縦靭帯骨化症は、脊柱の後縦靭帯が骨化することにより、脊柱管が狭くなり、脊髄と神経根が圧迫され神経障害を引き起こす疾患である。さらに黄色靱帯骨化症OYLや前縦靱帯骨化症OALLを合併することがある。症状は首筋、肩、手の指先に痛み、痺れが出現し、徐々に手指の運動障害、下肢の痺れや知覚障害、運動障害が出現してくる。重症になると排尿、排便障害などが生じ日常生活が困難となる。

日本では、後縦靭帯骨化症OPLLは難病に指定され、成人外来患者の平均1.5から5パーセントに発見されている。
中華人民共和国でも50歳以上の2.7パーセントに、特に東アジア地域に多く報告されている。またアメリカ合衆国でも発見頻度1.2パーセントの報告がある。

後縦靭帯骨化症の西洋医学的治療法は、固定装具などの保存的治療。消炎鎮痛剤、筋弛緩剤等の薬物対処療法。また手術療法として前方進入法と後方進入法の2つが主流と成っている。しかしこれらの治療法も原因療法には至っておらず、未だ治療法が確立されていない疾患である。

対象並びに方法

全例MRI等で西洋医学的に後縦靭帯骨化症と診断され、西洋医学的治療を行ったが改善せず東洋医学的治療を希望した例を対象とした。

治療は日本の伝統漢方理論に基づいた。また投薬する薬方の最終判断は気功の一つである糸練功にて決定した。後縦靭帯骨化症に対する漢方治療に関して、木下が2002年南京国際中医薬論壇、2004年伝統漢方研究会全国大会にて発表している。その後、金匱要略が原典である茯苓飲加陳皮半夏にて有効例を経験したので報告する。

症例1。62歳、男性

主訴。後縦靭帯骨化症、首周囲の凝り、左手肩周辺部痛、両肘から手首までの痛み、腰周辺痛、両膝部分の痺れと痛み、足親指周辺の痺れと痛み
既往症。20歳時盲腸手術、50代より血糖値は境界域
現病歴。1997年9月、階段から転落。頭を壁に打ちつけ下半身麻痺となり救急車で搬送され入院。約1ヵ月の治療で歩けるところまで回復。同時に後縦靭帯骨化証が既往症として見つかる。足腰が痺れて痛く苦しみながらの仕事復帰となる。
2003年7月頚椎後方拡大手術を受ける。その後リハビリを受け現在に至るが痺れと痛みが強く2005年4月来局相談となった。
現症。身長166センチメートル、体重66キログラム、最高血圧115、最低血圧66、顏色赤く手足の冷えを訴えられる。口渇なし、発汗正常、小便正常、やや便秘ぎみ。食欲普通。

治療経過。後縦靭帯骨化症に伴う自律神経の失調部分に半夏厚朴湯証と桂枝加竜骨牡蠣湯証。骨化周辺の頚椎損傷に桂枝二越婢一湯加茯苓蒼朮附子証。骨化部分に桂枝一越婢二湯加蒼朮証。両腕の痛みに万病回春出典の加味八仙湯証。両膝から足親指の痛みと痺れは金匱要略出典の黄耆桂枝五物湯証だと糸練功にて判断した。

1ヵ月後、両肘から手首までの痛みが軽減、両足の痺れも軽減。
3ヵ月後、患者さんから「順調に回復していると思います。両手の痛みは大分少なくなりました。両足の痺れもだんだんと良くなっています」と喜ばれる。その後、寒い時期は症状が酷くなり一進一退を繰り返しながら徐々に回復。

2年8ヵ月後、茯苓飲加陳皮1半夏3にて骨化の殆どの証が消失することを糸練功にて確認。
2年10ヵ月後、今までの投薬を改め茯苓飲加陳皮半夏と頚椎損傷の桂枝二越婢一湯加茯苓蒼朮附子証のみの治療とする。
茯苓飲加陳皮半夏の服薬1週間後、「驚く位に痺れが少なくなった」と患者さんから言われる。
更に1ヵ月後、「先月に比べて痺れが少なくなってきた。ウォーキングマシンにて30分連続で走れる。グラウンドでも走れると思う。」と喜ばれた。

症例2。62歳、女性

主訴。頚椎後縦靱帯骨化症、頭痛、手指の強張り、足がふらつき
既往症。過去にプール水に手足を入れたら湿疹が出た事がある。
現病歴。2001年頚椎後縦靱帯骨化症の診断を受け、以後西洋医学病院にて非ステロイド性鎮痛、消炎剤、鎮痙剤、ビタミンB12剤の内服治療を受けていた。2005年7月、東洋医学での治療を希望し来局相談となった。
現症。身長148センチ、体重53キログラム、上熱下寒、胸焼けがあり、便は軟便。動悸が時々する。疲労感も訴える。

治療経過。後縦靭帯骨化症に伴う自律神経の失調部分で半夏厚朴湯証と桂枝加竜骨牡蠣湯証。骨化周辺の頚椎損傷に麻杏薏甘湯加石膏証。骨化部分に桂枝一越婢二湯加蒼朮証。手指の強張りに加味八仙湯証。経筋の証に青皮牡蠣混合製剤と判断した。
1ヵ月後、「症状が大分、緩和されてきた」と自覚症状の改善を言われた。その後、足のもつれ、右手指の強張り、身体のふらつきなどの症状は一進一退を繰り返しながら少しずつ改善していった。
2年6ヵ月後、茯苓飲加陳皮1半夏3にて骨化症の殆どの証が消失することを糸練功にて確認。今までの投薬を改め、茯苓飲加陳皮半夏と頚椎損傷への麻杏薏甘湯加石膏証のみの治療とする。
茯苓飲加陳皮半夏服用2ヵ月後、「身体が軽くなり動くようになった。また起きていられる時間が長くなった。」
更に1ヵ月後、「先月より更に症状が緩和し身体が軽く感じる」と喜ばれる。

症例3。57歳、男性

主訴。頚椎後縦靱帯骨化症、右股関節の痛み、右手親指、差指と左手小指、薬指の痺れ、右足親指と右足裏に違和感、右足側面、踝上部の冷え、大腿部の突っ張り感、項背部の凝り
既往症。1986年、胆のう摘出。1976年痔手術。2004年尿路結石。
現病歴。2003年8月、右足親指先に違和感を訴える。2005年5月MRIにて後縦靭帯骨化症と診断され、2005年12月神経根ブロック注射。プロスタグランジン誘導体PGE1の内服、牽引とマッサージをするが回復せず。2006年1月来局相談となった。
現症。身長185センチ、体重90キログラム、最高血圧152、最低血圧86、顏色赤く、のぼせ症、口渇あり多飲、発汗しやすく寝汗あり、食欲多く、軟便。

治療経過。後縦靭帯骨化症に伴う自律神経の失調部分で半夏厚朴湯証と桂枝加竜骨牡蠣湯証。骨化周辺の頚椎損傷に桂枝二越婢一湯加茯苓蒼朮附子証。骨化部分に桂枝一越婢二湯加蒼朮証。右手親指の痺れはヘルニアからの症状と思え桂枝湯加茯苓蒼朮附子湯と糸練功にて判断した。
1ヵ月後、両手の痺れを感じることが減ってきた。その後、緩やかな改善傾向ではあるが「良くも悪くもない」という状態が続いた。
1年9ヵ月後、薬方変更。茯苓飲加陳皮1半夏3と頚椎損傷の桂枝二越婢一湯加茯苓蒼朮附子証とヘルニアの桂枝湯加茯苓蒼朮附子湯だけの治療とする。
茯苓飲加陳皮半夏に薬方変更1ヶ月後、患者さんは「前回から苓飲加陳皮半夏へ変更し、痺れの無い日が出てきた。骨化した首周囲も以前よりスムーズに感じる。苓飲加陳皮半夏を服用してから調子が良い」と言われた。

考按並びに結論

後縦靭帯骨化症は他の骨痛や神経痛と同様に夏場に症状が軽快する傾向にある。霊枢、経筋篇第十三「経筋之病寒即反折筋急熱即筋弛縦不収。経筋の病は、寒すれば則ち反折筋急し、熱すば則ち筋弛縦して収まらず」これは経筋の証だと思われ、霊枢記載の焼針の適応と考えられる。

また後縦靭帯骨化症の下半身麻痺には加味八仙湯が適応する場合が多い。更に後縦靭帯骨化症に黄色靭帯骨化症を合併した場合の痺れや麻痺は、黄耆桂枝五物湯にて改善する例が見受けられる。
今回、使用した茯苓飲加陳皮半夏の方意は胃内停水の改善である。金匱要略、痰飲咳嗽病篇「外臺茯苓飲、治心胸中有停痰宿水、自吐出水後、心胸間虚、気満不能食、消痰気令能食。外台の茯苓飲は心胸中に停痰宿水有りて、自ら水を吐出して後、心胸の間虚し、気満ちて食す能わざるを治す。痰気を消し、能く食さしむ」

何故、後縦靭帯骨化症の症状改善に有効なのか不明であり、骨化証に対する茯苓飲加陳皮半夏の薬理は推測の域を出ない。今後の研究を待たないといけない。