それぞれの生き方

漢方コラム

2023年10月24日。写真は大分県竹田市久住町久住高原、童心回帰農場のチャイルドアスレチックです。

季節に合わせて

東洋医学では旧暦の1月1日から春になると考えています。今年の旧正月は2月1日でした。来年2024年は2月10日だそうです。

東洋医学の古典である黄帝内経素問四気調神大論篇第二には「初春は、発陳の季節です。早寝、早起きをして、ゆったりと伸び伸びと過ごしなさい。朝に緩やかな散歩をしなさい。防寒用の帽子を取りなさい。また志を起こしなさい。」と有ります。

七草粥

旧正月の七日に七草粥を食べます。七草などの発散作用のある葉野菜や、少し清熱作用のある緑野菜を食べ始めます。暖かい春を迎えるため身体の準備を食事でも始める時期です。

また生活では、伸び伸びと運動などを始め、軽い発汗を伴って身体を動かし始めます。春の新芽と同じように、新しい事を始めたり目標に向かって動き出します。

岡城

滝廉太郎は少年時代を大分県竹田市で過ごしました。明治時代に廃城令で取り壊され、荒れ果てた岡城をモデルに荒城の月を作曲したと言います。

岡城は平安時代末期、源頼朝に追われた源義経を九州の地に迎える目的で造られました。義経は奥州へ向かったため岡城は使われませんでした。この地に立つと、岡城を造られた方々の義経への思いを感じます。その後、南北朝時代に後醍醐天皇の南朝方の城になった時期もあります。

安土桃山時代、勇猛な薩摩の島津勢3万に幾度となく攻撃されますが、落城することなく難攻不落の城と言われています。

岡城は稲葉川と白滝川に挟まれた要害堅固な断崖絶壁の上に天高くそびえる山城です。三の丸跡や本丸跡からは阿蘇や久住の山々、祖母山が望めます。

童心回帰農場

写真の童心回帰農場は、手作りで造られた子供達を遊び守る施設です。遊具の木製手作りにオーナー様の心意気が感じさせられます。食と自然と土にこだわっています。オーナー様が60代、施設を動かすルン爺が70代。凄いですですね。

興味のある方は久住高原童心回帰農場を検索ください。

70代のお元気な男性

先日、私の自宅でお世話になっている家内のピアノの先生によるミニコンサートを致しました。先生のピアノは優しく素敵です。ショパンのノクターン、思わず涙が出そうになります。

その参加者に1人の男性がいらっしゃいます。コンサートの後、一緒に食事とお酒を頂きました。彼がリビングの板間に正座されているので絨毯の方へ誘うと「大丈夫です。剣道していますので」と剣道7段です。

私どもが主催するクラッシックコンサートには必ず出席して頂きます。彼は着物の会にも毎回出席されています。

彼が最近に始めたのは、マリンスポーツのスタンドアップパドルボードです。サーフボードの上に立ち、1本のパドルで海を漕いで進むスポーツです。お年は、いつまでもお若い72歳、興味を持ち挑戦。凄いです。

掌踵膿泡症の男性

私が30代の頃、掌踵膿泡症の男性の患者さんを診ていました。男性は隣の県から5、6時間掛けて、息子さんや娘さんが運転する車で毎月来ていらっしゃいました。

この患者さんの掌踵膿泡症は罹患してからの年数も永く、酷い状態でした。膿疱の出来ていない皮膚も真っ赤でステロイド皮膚炎も疑われました。手掌は皮が厚いため通常のステロイド剤では効果が無く、強いステロイド剤を使用します。そのためステロイド皮膚炎にもなっていたのだと思われました。

この男性の漢方治療は3、4年したと思います。結局、当時の私には男性の掌踵膿泡症を治す事が出来ませんでした。

私の知人が男性を知っていた

この男性はある政治団体に入っていらっしゃいました。当時の天皇陛下に拝謁する事もできると言われていました。

たまたま私の知り合いの女性がこの男性をご存知でした。彼女は若い頃に選挙のウグイス嬢をされていたそうです。ある選挙の時にこの男性と知り合ったそうです。彼女は僕に、あまりこの男性と近づかない方が良いと忠告してくれました。怖い人ですと言っただけで詳しい説明はされませんでした。

男性は漁業組合長

この男性の患者さんとは色々な話をさせて頂きました。また僕に心を許されていたのかご自分の経験など様々な話をされます。

この男性は県の漁業組合長もされていました。県と漁業組合が揉めたことが有ったそうです。団体交渉になったそうです。

揉めた団体交渉

団体交渉では組合員の男性たちが県の担当者の方々を攻め立てたと言われていました。組合員が余りに攻め立てるので、彼は組合長として「県の職員という人間と交渉するのだぞ。お前たち、職員を罵倒するな。お前たちは県庁と言う看板と交渉しているのか。人間と交渉するのだぞ。看板じゃない。」と言われたそうです。その後は両者が落ち着き交渉も上手くいったと言われていました。

人生が変わった言葉

私は「県庁と言う看板ではなく、そこに居る人間」という言葉に感銘を受けたのを覚えています。

その後、私の人に対する考え方が大きく変わったのです。下請けの業者さんも人間です。接待されるべき私が接待することもあります。取引先もメーカーではなく、メーカーの人間です。
薬局で働く従業員もスタッフと言う人間です。お客様も患者さんと言う人間です。

人間と人間の付き合いをお教え頂きました。それからの私の人生は大きく変わって行ったのです。