2020年8月7日。写真は大分県鶴見岳より
上下の無い縄文人
その昔、狩猟民族の縄文人は、広場の中心から同心円に住居を造り、その同心円の周囲に食として命を頂いた獲物の貝塚や先祖の墓を造っていました。同心円の住居は階級、上下の差が有りません。家族や仲間が、その日に腹を満たすだけの狩猟と採取だけで生きていた縄文人。
一方、農耕民族の弥生人は、階級ごとに奥から順番に住居を造っていました。農耕で米を収穫し蓄えが出来た弥生人。蓄えが財となり、財が大きい者が権力を持つ。より蓄えが出来る豊かな土地を求め奪取と戦い、争いが生まれます。力のある者と無い者の間に上下の差が生じ、階級が生まれます。
伝漢研は小宇宙が集まり大宇宙へ
私が作った伝統漢方研究会は上下の無い、誰が上でも下でも無い組織です。仲間が仲間のために汗を流し合う組織です。
伝漢研10年。我を通せば人が逃げます。下の人を見れば人が集まります。力のある会員も無い会員も同じ自立した会員です。より高い目標へ全員で進みたい。
東洋医学の小宇宙は「無駄な物は無い、無駄な臓器は無い、無駄な人は居ない」いかに調和し太極になり和するかです。日本は和の国です。
薩摩の教育
私が育ったのは鹿児島の武町と言うところ、武士の町です。町内には西郷隆盛の西郷屋敷が有りました。朽ちかけた家に、タンスには着物。漢字の文章が書いてある机などが有ったのを覚えています。幼稚園の頃の私達の遊び場でした。
当時の鹿児島では、幼少の頃から男の子は厳しく育てらていれました。
- 男はしゃべるな。幼稚園年少くらいまでに教育されます。しゃべるだけで父から怒られていました。何故、怒られるのか理解できない思い、父へ腹が立った記憶が有ります。
- 我を言うな。我はガと言います。小学に入るまでに教育されます。我が儘、自分の得になる、利益になる主張をするな。また自分ではなく、女や弱い者を守れの意味も含まれます。これは父以外にも、母にも、お祖母ちゃんからも「我を言うな」と1日に何回も言われていたように記憶しています。
- 義を言うな。義はギと言います。屁理屈を言うなの意味です。筋を言うな、口数は要らん、動けと教えられます。
- 「泣こかい、飛ぼかい。泣こよかひっ飛べ」。小学校に入ると、家庭での教育は無くなります。家では放任です。薩摩独特の郷中教育が始まります。地域での教育が始まります。上級生、年長者からの教育です。小学1年生が飛べるはずのない川を上級生が「飛べ」と言われます。「飛べない」と泣くか。飛べなくても飛ぶか、泣くくらいなら川に落ちても良いから飛べの教えです。泣こかい、飛ぼかい。泣こよかひっ飛べ。喧嘩をし負けて家に帰ると、「もう1回喧嘩してこい」と家に入れてもらえないのもこの頃です。
- 言い訳を言うな、怒気と勇気の違い。「言い訳をするな」と怒られます。言い訳ではなく、たとえ自分が正しくても。「聞かれるまで自分から理由や訳を言うな」と教えられます。
そして中学生に入ると立志式、元服です。今の時代では、理不尽でハラスメントなのかもしれませんが。
朱子学と小宇宙
薩摩の教育は朱子学です。朱子学は儒教から発達した教示です。朱子学では、陰陽の気により五行が生まれ、万物は五行の組合せで構成され、人間も天地間の一物であると考えます。「自己と宇宙は理にて結ばれ、自己と社会は同一化、統一する」と考えるのが朱子学です。自分と社会との関係、自分と周囲との関係が大事であり重要であるとの教えです。
東洋医学の大宇宙の中の小宇宙、社会の中の自分、身体の中の病とも同じです。病だけを攻撃するのではなく、病と身体の関係が重要で治すための根源です。東洋医学の天人合一の思想と朱子学は全く同じです。
東洋医学の小宇宙
東洋医学の基本理論は陰陽二元論です。虚実、寒熱を始め全ての理論が陰陽二元論から出来ています。虚証、弱った人には元気が出る陽薬の漢方薬が合い、寒証、冷え性の人には身体を温める熱薬の漢方薬が合います。
東洋医学の天人合一とは
天人合一の思想は「陽気の集まる所は天なり、陰気の集まる所は地なり。万物は消長によって構成される。人間もまた天地間の一物であり、大自然の宇宙に対し、小宇宙である」となっています。
「自然が大宇宙で人間は小宇宙、人間は自然により創造された一物」であると。小宇宙は、陰と陽が混在し常にバランスを取ろうとしています。バランスが取れた状態が太極、健康となります。
いい加減を認める
私が漢方を勉強し10年を過ぎた頃、近代漢方薬を書かれた高橋良忠先生のお弟子さんで初老の先生に言われたことがあります。私に「先生は、白黒ハッキリさせようとする。虚か実か、寒か熱か。人間の病は簡単ではない。こちらに来なさい」と。
夕焼けを見せられ「夕焼けは陰か陽か」と尋ねられました。夜は陰、昼は陽です。「夕焼けの様に陰でも陽でもない陰陽の混在した病が多い。いい加減なファージーな部分を認めるのが東洋医学だ」と。
小宇宙に無駄な物は無い
法隆寺の五重塔の修復をされた宮大工さんは、山の北面に生える木を五重塔の北側の木材に使い、南面の木は南側に使ったそうです。森は真直ぐな木や曲がった木が混在し成り立っています。宮大工さんは真直ぐな木だけでなく曲がった木も適所に使うそうです。そして丈夫な建物が出来るそうです。
小宇宙の陰陽は混在しています。無駄な物はありません。東洋医学はバランスを取る医学技術であり、余分な物を除き捨てる技術ではありません。
東洋医学では、大宇宙の中に小宇宙があり、その小宇宙を大宇宙として更に小宇宙があると考えています。大宇宙の中に小宇宙、小宇宙の中に更に小宇宙。夫々の小宇宙で陰陽のバランスを取ります。
進化と大宇宙
西表ヤマネコは大陸と陸続きの時に渡って来ました。大宇宙の西表の環境の中で、小宇宙のヤマネコは独自の進化を遂げていきます。
男が陽、女が陰。どちらが上でも下でもないです。相反する男女が一つに成りバランスを取り小宇宙が出来ます。その小宇宙で家族が出来、家族を囲む社会と言う大宇宙が出来ます。
「大宇宙に生かされる小宇宙。小宇宙が形造る大宇宙」です。
時代で変わる漢方
日本の漢方は明治政府の西洋医学一辺倒の政策にて一時消滅の危機に瀕した時代があります。僅かな医系の先生方と、関西を中心とした薬系の先生方が伝統漢方を細々と、しかし力強く伝え残した時代です。その後、薬系漢方が徐々に全国に広がり日本漢方は薬系にて全盛期を迎えます。
漢方が保険適用され、1970年代より徐々に医系でも漢方を使われる先生方が、ごく少数ですが増えて行きました。病院では、漢方薬の小柴胡湯が化学薬品の副作用防止のために使われていた時代です。
その当時、漢方の意外な効果や東洋医学の不思議さに気づかれた医系、薬系の先生方は、今まで学んだ西洋医学や薬理学を捨て、本腰で漢方、東洋医学の世界へ入ってこられました。私もその一人でした。
終わりの無い勉強と研究
好きで始めた漢方。でもそれだけで良いのでしょうか。西洋医学で治らなかった患者さんが劇的に改善される喜び。患者さんから感謝の言葉をいただく喜び、嬉しいです。でもそれだけで良いのでしょうか。今まで勉強された漢方の知識と技、それで十分なのでしょうか。
時代は変わり、西洋医学でも治せない。最後に藁にもすがる思いで漢方を頼り、治らなかった患者さんがいらっしゃいます。漢方、東洋医学は、終わりの無い勉強と修行です。最初に漢方に出会った時の意欲と努力を、漢方に携わる間は続けて行くことが大事かもしれません。
治せない自分に気付く
漢方を勉強し始め、3から4年すると60処方位をマスターします。覚えた漢方処方を使い、多くの患者さんが治っていきます。時には短期間で症状が取れる著効も経験します。西洋医学で見放された患者さんも治っていきます。漢方の素晴らしさに触れ、自分の腕に自信が付いてきます。
勉強しても治せない
更に5年以上10年程、漢方を勉強します。使える処方も100を超えてきます。
その頃、治せない患者さんに気付き出します。治した記憶は残り、治せなかった記憶は消えていきます。自分の頭の中には、治した患者さんの記憶しか残らないからです。初めて治せないことに気付き出す時です。
治せない為に更に勉強を続けていきます。漢方を始め10から20年過ぎると、200処方以上を使えるようになります。漢方ではベテランの仲間入りです。でも治せないのです。
努力を重ね続けます。しかし治癒率は上がりません。30年前、尊敬する黙堂会の柴田良治先生の治癒率が20パーセントとお聞きしたのもこの頃です。私は薬歴カルテを全部見直しデーターを取りました。私の治癒率は、その頃15パーセントは超しますが20パーセントに届いていなかったのです。あれほど勉強を重ねたのにです。
20代の時に共に古方派漢方を修行し勉強した仲間達は、漢方の世界から離れて行きました。
私は救われた
その後、私は運よく故入江正先生に出会い、入江FTを習いました。入江先生に与えられた宿題を20年掛け完成させ、現在の糸練功が出来あがりました。それが私の第2の東洋医学のスタートでした。そして治癒率が圧倒的に上がる切っ掛けとなりました。
漢方を教え続け、思う事
東洋医学を志す先生方へ漢方をお教え始め30年以上が過ぎました。今までお教えした先生方は500人を超えていると思います、数えていませんが。医薬品販売業の先生、薬剤師、医師、鍼灸師、整体師。様々な先生方がいらっしゃいました。
最初の3、4か月で漢方から興味を失う方もいますが、9割以上の先生方は3、4年は続きます。そこで漢方の勉強から離れていく方も多いです。離れて行く先生方に共通しているのは、漢方以外に別収入がある場合が殆どです。また、ご自分の事業に役にたつ十分な漢方の知識になった時点で勉強を止める方もいらっしゃいます。
それぞれの漢方
20年以上続いて漢方の勉強をされている方に共通な点は、患者さんへの想いが強い先生方です。
色々な、それぞれの漢方への関りが有って当たり前です。ただ教える側からすると、一人一人の目標が異なります。一人一人に何処までお教えすれば良いのか判断に迷う時があります。判断に困り迷いながらの30年。これからも悩ましい日々が続くのかもしれません。
修行した弟子たち
博多の当薬局には多くの先生たちが漢方と糸練功を勉強に来られます。その中で1から3年の期間、地元を離れ福岡に住み、博多の当薬局で漢方治療に従事し修行した子達がいます。
当薬局では毎朝、漢方理論の試験があります。叱られ、糸練功の訓練をし、多い時は1日20人の患者さんを診て修行を続けます。約半数が脱落しますが、最後まで生き残った子達は卒業していきます。
修行する子達にお教えするのは、漢方の知識や糸練功の技も大事ですが、方向性を育てます。秋のモミジは綺麗です。枝を上にも横にも張り太陽光線を浴び、美しい紅葉を見せてくれます。紅葉もせず派手ではありませんが、杉の木は上へ上へ伸びていきます。モミジの様に枝を横に伸ばさないよう枝打ちをされます。そして真直ぐ伸びていきます。私達の修行にはモミジの様な美しさ派手さは必要ありません。修行する子達が横に伸びないよう枝打ちをします。
最初は肥料も水も与えます。真直ぐ伸びる方向性が定まり、自分で根を張り水や栄養分を集められるように成ります。ここで最初の修行は終わります。そこから自分で漢方への思いを更に強め、古典を勉強し、技術を更に磨かないといけません。それが出来る力が付いたら、当薬局での修行が終わり卒業します。
僕にできる事は、後は見守ってあげるだけです。知識が豊富、腕が良くなったから、当薬局での修行が終わったのではありません。
ある若手の先生に、どうしたら一流に成れるか問われました。僕は「一流の技など無い。一流を求める心が一流なのだ」と答えました。
目の前に治せない患者さんが居るかぎり、修行に終わりはありません。自分で根を張り、天に向かい、真直ぐ伸びて行くことです。